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名護屋城

早起きの習慣はここでも生かされます^^
日の出とともに城山を散策。
私の大好きな場所、本丸跡です。
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このお城、秀吉が朝鮮出兵のために建てました。
大阪城に匹敵する大きさと言われているほどの、大きなお城です。
そして、国中の大名が集められました。
徳川家康、加藤清正、伊達政宗、前田利家、上杉景勝…
陣跡はなんと130以上!
詳細はこちら→歴史資料館
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『名古屋城跡』と書かれた文字は、東郷元帥のものです。
ここでは、数年前まで、毎年薪能が開催されていましたが
その景色は、言葉では言い表せないほど素敵です。
人間国宝の能楽師・茂山千作さんも、それはそれは感動し
弟子ではなく、毎年自ら舞台に立たれていたほどです。
詳細はこちら→薪能
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お城の設計には、いろんな思惑が隠されています。一つは大手門。
朝鮮からの使節団を驚かせるために、招き入れる入り口は大きく
ゆっくりと見えてくるのは、雄大な玄界灘。
権力を誇示して「抵抗しても無駄だよ」というアピールを施すなど
随所に工夫が凝らされています。
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時が流れ…1637年島原の乱の時代。
天草四郎たちが逃れて身を隠すことがないようにと、石垣が等間隔で崩されました。
今では木が生えています。(あれ?木の下で佇んでいる人がいますね^^)
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当時のまま、手を加えずに古城として残されていることに、感銘を受けた黒澤明監督が
是非にと「乱」のロケーションとして使うことにしたのがこちらです。
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発掘していてのちに分かったのが、二重の石垣です。
赤線で引かれたものは、土に埋もれていることが発覚したもう一つの石垣です。
大名たちの力を使い果たすために、あえて一度作った石垣を埋めさせ
新たに外側に石を積ませたとされています。
力を使い果たして抵抗させないようにする…すごい時代ですね。
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兵隊だけでも10万を超す人が集められました。
その人たちの暮らしを支えるために、城下町が生まれ
ほんのひと時の間ですが、日本の首都になったのです。

実は、このように、町の遺跡を整備して資料館を誘致し
多くの著名人や研究者たちを招き
文化遺産として残すことに全力をかけたのが、義父です。

「文化」を大事にせねば…が口癖の義父は
あらゆる人脈を駆使して、町のために身を捧げました。

今は話すことも出来ませんが、義父を慕い、会いに訪れる人が絶えません。
人の心を動かし、人を紡ぎ、「町長さんのためなら」と、多くの人が力を貸してくれました。

人を育てることや組織論などは、理論じゃない。
実践そのものであると同時に、実践者の生きざまに出るなと、いつも思います。
今だからこそ、義父と話したかったことがたくさんあるねと、夫婦でいつも話しています。
by educare | 2013-08-14 17:56

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