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娘の作文(冬休みの宿題)に寄せて

『目標』

年の瀬も押し迫った12月29日
祖母が他界した。
一年間に渡る闘病生活の末だった。

闘病の始まりは、一昨年の1月7日。

「ちょっと庭の手入れをしてくるわ」

「はーい」

祖母が我が家に来る日の
ごく普通の会話だった。
これが祖母と言葉を交わした最後になってしまった。

弟が帰宅したので
祖母に伝えようと私は庭に出た。
しかし、どこにも姿が見当たらない。
奥の方まで覗き込んでみると
祖母が倒れていた。
あとからわかったことなのだがクモ膜下出血だった。

その後、救急車を呼び
近くの病院へ搬送された。
そこで手術を受け
二つほど病院を転々とした後
そこから一度も退院することなく他界した。

祖母は倒れてからは
話すことも歩くことも出来なくなってしまった。
それでも最初のころは顔を近づけると
頭を撫でてくれたり
「調子はどう?」と尋ねると
指で丸をつくってくれたりした。

ところが、昨年の8月ごろから容態が悪化し
声をかけても反応してくれなくなってしまった。

そんなある日
母が病室に向かうと祖母は目を開けていた。
色々と話しかけながらふと見ると
祖母は両目に涙をためていた。
慌てて母が涙を拭くと
祖母は何も言わずにぽろぽろと涙を流し続けたのだという。

祖母の口癖は
「後悔のないように生きなさい」と
「いつまでも人の役に立ちたい」だった。
これはまるで祖母の生き方そのものを表しているようだ。

常に他人を思いやり
誰かの役に立とうとする人だった。
その祖母が、手助けなしに生きてはいられなくなってしまった。
どれほどつらかっただろう。

葬儀の時、参列した方々からたくさんの話を聞くことができた。
戦時中に長女として幼い弟妹たちを育て上げたこと。
得意の手作りケーキを近所の方に配っていたこと。
誰に聞いても祖母は好かれ、慕われていた。

私にとって祖母は
生まれてから両親の次に身近な人だった。
いつでも優しく話を聞き、励まし、慰めてくれた。
祖母の心髄はきっと
「あるがままを受け入れ、ひたすら何かを与え続ける」
ところにあったのだと思う。

今の私には
祖母を失ったという実感があまりない。
すぐそこにいて、大好きな庭いじりをする祖母の姿が見えるような気がする。

祖母の体はもう無いけれど
私は人として、一人の女性として
最後まで懸命に生きた祖母を誇りに思う。
優しくて包容力があり、人から慕われた祖母は
私の目指すべき「目標」となった。
by educare | 2010-01-05 19:04 | わが家のこと☆

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